お客様が、僕たちにデザインの依頼をするとき、
まるで、占い師の前に座る様に、プロの前に座れば
自分の気に入ったカッコいいデザインがピタリと出来てくると考えているかも知れません。

依頼をする、プロに任せるということはその様なことだと考えておられるかも知れません。
名医の前に行けば病気がすぐ様分かり、病気はピタリと治る。

僕たちもたまにはそういった幸運な経験をすることもありますが、しかし、実際はなかなかそうはいきません。

デザイン制作の現実では、依頼者の方に多くの妥協を強いているのではないかと、気をもむことも少なくありません。
その様な意味では、実務の中ではデザインは妥協の産物ではないかと思える悲しい瞬間を経験することもあります。
デザイン制作者にとっては、敗北といっても良いかもしれません。

ビジネスでは、時間の中での結論と結果が求められます。

僕たちが自分の作品を作っている時は、自分の求めるものを自分の中に探し続けます。
うまく見つけることができることもありますが、見つけることができないこともあります。
また、求めるものが技術的に実現が困難な場合もあります。

しかし、自分の作品においては依頼者は自分であり、引き受けているのは自分です。全て自己責任の問題です。

通常デザインをお引き受けする事はビジネスですから、少し違います。
代償が発生しますし、何よりも違うのは、コミュニケションの壁があるという事です。
自分と自分とのコミュニケーションではないのです。
依頼者の望みを実現することなのです。

依頼者は何もコミュニケーションの達人とは限りません。
デザインをする者が何を知らなければ、ペンを動かすことが出来ないかも理解できないかも知れません。

このような中でデザインをするのが通常です。

デザインは、確かに才能を必要としているかも知れません。
しかし、コミュニケーションの壁が依頼者と制作者の前にあるのなら、才能以前に必要とされているものは
人としての目であり、
聞く耳、
相手への理解です。

僕たちがデザインの依頼を受けて実現したい物とは、実は始めっから依頼者がお持ちになっているもの、つまり依頼者を依頼者に引き合わせる事なのかも知れません。
僕たちが繰り出すアイデアやフォルムは、その出会いのキッカケとなるツールと言うべき物です。

しかし、僕たちは稀ではありますがこの様なクレームを頂きます。

あなた達はデザイナーと言うが、やったのは依頼者である僕の言ったとうりにしただけだ。
なんの創造性もなく独自性もない。依頼した意味もない。…と。

しかし、これは大いなる矛盾です。

依頼者の望みは自分を見事に裏切られることなのです。
つまり、驚きや歓びが必須なのではないでしょうか。

〈つづく〉